オスト・フリューゲル 第四話:血染めの空
第4話:血染めの空
僚機が戻るなりハルトマンは京一に合図を送り、一気に急降下を開始した。
高度からのダイブの先には、革命軍側のBf109G6がいた。
照準器の中にその小さな姿をとらえ、ハルトマンはほくそ笑んだ。
革命軍機の姿はすぐに大きくなってゆく。そして必中距離に達した時、ハルトマンはトリガーを押し込んだ。
機銃の唸りが響き、それに若干遅れて照準器の中のBf109G6のボディに穴が穿き、翼が、胴体が引き千切られてゆく。
ハルトマン機がすり抜けた直後、機体から火が吹き出し、爆散した。
1機撃墜したら必ず上空定位置に戻り、警戒待機している僚機と交代する。
警戒待機中に獲物に目星を付けていた僚機は、入れ替わるなり、獲物に向かって斬り込んでいった。
『ヤーパン! 彼らが戻ったら、ちょいとコーヒーブレイクしよう』
「はあ?」
ハルトマンからの通信に、京一は耳を疑った。戦闘中にコーヒーブレイクなど、理解できない。
『戦場を冷ます。少し休憩が必要だ。僚機が戻り次第、さらに高度に上がる』
クスクスと笑いながらのハルトマンの捕捉説明に、京一は納得した。
隊からはみ出た敵を新たに作り出すために、単独機狙いを一時休止するということだった。
「これが……ドイツ流か……」
ハルトマンについて上空の警戒位置に戻った京一は、その戦い方に言葉をもらしていた。
Bf109G6だけじゃない。本国で見た他のBf109Eシリーズもそうだったが、
パイロットを大切にする精神が、機体の各所からうかがえた。
その精神は、ハルトマンの戦い方にも生きている。
彼は絶対に無理をせず、部下にも絶対に無理させない戦い方を行っていた。
これだと、パイロットの損耗率も極端に低くなるだろう。
「機体だけじゃない。戦い方からして、日本はまだまだドイツに追いつけない……」
飛燕をドイツに改修してもらい、日本に持ち帰ったところで、この国の戦闘機と同じようには運用できない。
わずかな時間の戦闘を体験するだけで、京一はそう感じた。
やがて敵機を始末した2機の僚機が戻ると、ハルトマンは合図を送り、編隊をそのまま高度に引き上げた。
ハルトマンの隊が抜けたことなど気づけぬほど、戦闘空域は乱戦が続いていた。
革命軍としては、フランクフルト、ベルリンに続く道を確保し、補給拠点とするために、
是が非でもポズナンは奪取したい都市だった。
だが、その意図をドイツ側も読んでいた。
陸戦部隊を進めるためには、制空権を握る必要がある。
だからこそ、このポズナン西部の空では、連日のように航空機同士が戦い続けていた。
そしてハルトマンの隊が抜けた空域に、革命軍と諸国連合ソ連軍のYak1の編隊が、絡み合うようになだれ込んできた。
『リディア! 落ち着いて!!』
エカテリーナの叫びが無線機から聞こえたが、
リディアは返事もせず、革命軍側のYak1を照準器にとらえ、機銃弾を放った。
機関砲弾が命中し、被弾したYak1が煙を上げて墜ちていく。
リディアは煙を軸にするように旋回しながら、新たな獲物を探した。
こんなすぐに墜ちるような情けない元同志ではなく、完全な裏切り者の姿を――
革命軍側のYak1には、エースを印象づけるパーソナルマークやナンバーのペイントがひとつもなく、
どの機体に誰が乗っているのか見当もつかない。
――敢えてマーキングせず、腕のいいエースを味方の中に潜ませる作戦ね……。
それは、未熟なパイロットを盾にする作戦だった。逆にエースのパーソナルマークがあるために、
その僚機ばかりが狙われて撃墜されることから、パーソナルマークを消した例もある。
この場合、どちらの理由から個人を特定できなくさせているのかわからない。
リディアは風防を過ぎった影に気づき、あわてて舵を切った。
すぐに後方から機関砲の音が響いてくる。
視野の端で曳光弾の光を捕えながら、リディアはまた舵を切る。だが攻撃してきた革命軍のYak1は、追撃する素振りも見せず、
ヒットアンドウェイを決め込んで離れた。
「バカにして!」
機を小さく旋回させて、リディアはその後を追った。
ギリギリまだ追える距離だった。
「逃がさない。反革命の裏切り者め……」
革命軍機は調子がおかしいのか、その差は徐々に詰まってゆく。
リディアは照準器にその姿をとらえ、機関砲を放った。
だが、Yak1はギリギリのところで弾をかわした。
「ちっ!」
逃げに入ったYak1は、やはりどこかおかしい様子だった。
左に逃げる動きがややぎこちない。右は動きやすい様子だった。
左が調子悪いと、誘いをかけている可能性もあった。
それを考慮する程度の冷静さは、まだリディアにも残っている。
すべてを考えて追い詰めてゆくが、リディアの攻撃はいつもギリギリのところでかわされた。
「くっそ!」
その瞬間、フワッと眼前のYak1が動き上昇しようとするのが見えた。
「逃がさない!」
その背を追ってリディアも機首を上げた。
同じ軌跡で飛んだはず。しかし、目の前のYak1はより小さな孤を描き、リディアの背後についていた。
『感情を露わにした方が負けると教えたはずだ。同志リトヴァク』
その無線機から流れてきた男の声にリディアはハッとし、すぐに歯ぎしりした。
「あんたに同志呼ばわりされる憶えはないわ! シェスタコフ少佐!」
自分の背後についたYak1に、仇と狙う男が乗っている。
リディアはカッとなりつつもなんとか逃げて、背後を取るチャンスを得ようともがいた。
『スターリンでは真の社会主義革命は成されない。お前もそれに気づけ』
その通信とともに無数の砲弾がリディア機を襲った。
瞬く間に舵が重くなり、機が軋む音を立てはじめる。
――やられた……。
減速してゆくのがわかり、機体バランスを保つことも難しくなっていく。
だが、ショスタコフはそれ以上撃つことはなく、挨拶をするように翼を上下に動かした後、新たな獲物を探すように飛び去っていった。
「あたしを撃ちなさいよおおおっ!」
涙ながらにリディアはそう叫んだが、返事はなかった。
失速したリディア機は地表近くまで墜ちていた。
かろうじて車輪を出すことに成功したリディアは、何度も機をバウンドさせ、
車軸やプロペラを跳ね飛ばしながらも、畑への不時着を成功させた。
リディアは急いで風防を開き、機から転がり出るように飛びだした。
不時着機を狙うヤツもいるし、攻撃を受けている以上、機体が爆発する可能性もあった。
だが、攻撃も爆発もなかった。
畑に伏した自分に近づいてきた機は、戦いに夢中になるあまり引き離してしまったエカテリーナのYak1ただ1機だけだった。
エカテリーナ機を目で追って見上げた頭上には、爆散する機、そして砲弾が飛び交う血染めの空が広がっていた。
その空を見上げながら、リディアはただ唇を噛みしめ、固く拳を握り締めた。