オスト・フリューゲル 第9話:燕、飛ぶ
第9話:燕、飛ぶ
「だからT34ってなんだよ!? 俺たちが普段見てるものはT34じゃねえのか?」
ブリーフィング・ルームに集まっていたパイロットたちの前で、ルーデルが詰め寄っていたのは、ただ一人、西部戦線から東部戦線の回されてきたパイロットだった。
「落ち着いてください! だから、普段みなさんが撃破しているのは、ソ連軍のT-34で、ルーデルさんが見たのは米軍のT34なんですよ」
ルーデルに詰め寄られてあわてふためきながら説明したパイロットだったが、肝心のルーデルにはそれが伝わっておらずチンプンカンプンという顔をして首を捻っていた。
「つまり……なにか? 米軍がソ連のT34をライセンス生産してるってことか? いや、もしかしたら米軍が作ったT34をソ連が作ったら、現行のT34が出来あがったってことか?」
「違う違う。まったくの別物ですよ。米軍も開発した車体に、偶然T34ってつけてただけです。違いは、ハイフンをつけるかどうかなんですよ」
「はあ?」
東部戦線では、機体の撃墜報告などの際、ハイフンを記載しなかった例が、中期頃まで見られたという。走り書きをした際に面倒なために省かれたのではないか? あるいは、前線ではハイフンをつけて区別する必要があまり感じられなかったせいではないか? と言われているが、本当のところは不明なままだった。
「面倒臭えもん作りやがって……どうせいつも通りだ。今後もアレを見かけたら、コードネームで呼べばいい。なんて呼び名だ?」
「カリオペと呼んでいるみたいです」
「じゃあそれでいい。どうせコサックの所にはそう数はねえだろうさ」
ルーデルが見た、ロケット砲を搭載した戦車について話し合われていたブリーフィング・ルームとは裏腹に、戦闘機の格納庫には重苦しい空気が漂っていた。 奇跡的と言っても過言ではない損傷を負いながらも生還を果たしたハルトマン機だったが、損傷箇所のパーツの在庫がなく、再出撃は不可能と整備士がハルトマンに告げていた。
「ベルリンからは……なんと?」
「これを機会に貴方を出撃させるな……という意向のようです。貴方が撃墜された時のことを恐れての判断かと……」
「バカな……」
エースたちが撃墜された時のダメージは、計り知れないものがあった。それ故に一定の戦果を挙げたエースたちに地上勤務を命じた。しかし、その命令を忠実に受けたのは、ごくわずかなエースたちだけだった。ルーデルに至っては、地上に下げると言うなら勲章を受け取らないと条件をつけ、ベルリンの意向を無視したことは有名な話だった。
「俺抜きでノヴィとやり合えというのか?」
格納庫にいたパイロットや整備士たちは、その言葉に表情を曇らせた。
ただ一人、京一を除いて……。
ノヴィことヴァルター・ノヴォトニー。『ヴォルホフストロイの虎』の異名を持つエースを相手に、こちらのエース抜きでやりあうことなど、誰も考えたくなかった。
「しかし……飛ぶ機体がなければ……」
「簡単な話だ」
整備長の言葉を遮るように話ながら、京一はハルトマンの前に出た。
「私が借りている機体に、ハルトマンが乗ればいい」
「キョーイチ。それはキミの本国からの命令を無視することになる」
「構わない。ここは日本ではない。私は客人でしかない。本来の主が機体に乗るべきだ。エース不在と知られる方が、取り返しの付かない事態になるだろう」
しばらくの間、表情の読めない京一の顔を見つめていたハルトマンは、何度か小さく頷いた後、京一に敬礼した。
「すまん、戦友! キミには助けられ、またここでも大きな助けを得たことを感謝する!」
「やめてくれ。私は当然のことをしただけだ」
そうと決まれば話が早かった。今まで京一が搭乗していた機体を、ハルトマンが乗りやすいように改修する。整備員たちはその作業に一斉に取りかかっていった。
そして2週間が過ぎた――
あの自決攻撃の無理が祟ったのか、その間、革命軍に一切の動きが見られなかった。
もしかしたら、ポズナン攻略をあきらめたのかもしれない。そんな淡い期待が、兵士たちの心に浮かびはじめていた。
そんな日の午後、京一は格納庫に呼び出された。
そこには、本来あるべき姿となった飛燕が運び込まれていた。唯一異なる点は、垂直尾翼に黒い狼のシルエットが描かれていたことだった。
「これは……」
「キミはいい判断をしてくれた。我々技師たちも、その判断に感謝の気持ちを表わそうと考えてね。突貫工事で完成させたよ」
振り返ると、そこには飛燕改良作業に従事してくれた技師たちや整備員、そしてハルトマンとルーデルがいた。
「エンジンはDB605AにMW-50ブーストを装備した。要望通り、37mmモーターカノンを装備して武装は強化してある。また、キミの国では軽視されている防弾板もしっかりした物を取りつけた。これで、生存率は相当高くなるはずだ」
「ありがとうございます」
「他に、なにか要望はあるかな?」
「では、赤ペンキを所望します」
「ペンキ? いったいなんに使うつもりだね?」
「自分は、大日本帝国陸軍の軍人です。であるなら、国を表わす印を描くのが筋だと思いました」
「なるほど。筋だね。ペイントはあそこにある」
そう技師が格納庫の隅を指し示すと、日本からついていた整備兵たちが、我先に走り出した。
「少尉殿! 自分たちに描かせてください!」
やがて、機体の導体部に描かれた日の丸の印。それを見たルーデルがボソリともらした。
「まるで……マナガルムだな」
「マナガルム?」
「ゲルマン神話に登場する太陽や月を追いかける魔犬や魔狼のことさ。太陽に追いつくと日輪車の御者であるマーニとソールに喰らいつき、その血のせいで日蝕や月蝕が起こるんだとさ。イヌガミの苗字から、気を利かせて誰かが狼を描いたんだろうが、アッという間に魔物に早変わりだ」
「魔犬マナガルム……」
感慨深そうに呟いた京一の肩を、ハルトマンは軽く叩いた。
「案外、的を射ているかもな。キョーイチは妙にくそ度胸が座っている。太陽と月を食い殺してラグナロクを引き起こしたマナガルムのように、大物喰らいをしてくれるかもしれないぜ」
ハルトマンの微笑に、京一はただ薄く笑って応えた。
この日、飛燕改弐武強と命名される飛燕が、異国の空に舞い上がった――