【期間限定】アレクサンドル・ポクルィシュキンの誕生日

 

有名なパイロット、アレクサンドル・ポクルィシュキンの生誕105周年を祝して、3月21日 18:00(JST)までP-39N-0を販売します。




アレクサンドル・ポクルィシュキンは1913年3月6日(グレゴリオ暦では1913年3月19日)にウラルのノヴォニコラエフスクで誕生しました。
彼は幼少期の頃から空軍に入ることを夢見ていて、その夢を叶えるためにどんな努力も惜しみませんでした。


両親の願いとは裏腹に、パイロットとして入隊するには専門的職業を取得している必要があったため、
アレクサンドルは職人学校に入学し、その4年後に専門的職業を取得しました。
勉学に励んでいる間、彼は2年間の飛行コースをわずか17日間で完了し、最高得点で試験に合格しました。





 


航空学校を卒業し、ポクルィシュキンは当時ソ連とルーマニアの国境線付近に位置していた
バルチ航空基地の第55GIAP(近衛戦闘機航空連隊)に入隊しました。
アレクサンドルは空いている時間を見つけると、様々な分野を独学で学び、これが専門的職業の取得へと大きく繋がりました。それだけではなく、戦闘で航空機を操縦する際にパイロットは体力や優れた状況認識力が必要であったため、身体的訓練も大いに役立ちました。
第55GIAPに所属している間、ポクルィシュキンはI-15やI-153、MiG-3を操縦していました。
戦争に参戦している最中、熟練の敵との激戦において、ポクルィシュキンは空中戦の方法を合理化しなければならないということにすぐに気付きました。彼が執筆した記録の1つが「”Fighter Tactics in Combat", pilot notes(パイロットメモ「戦闘での戦闘機戦術」)」で、後に中央軍事博物館に提供されました。
戦争の間、ポクルィシュキンは経験が少ないパイロットの訓練を任され、
彼がそれまでに実践で学んだ知識を使用しながら指導にあたりました。
戦争が終戦を迎える頃、大佐となったポクルィシュキンは第9近衛航空師団で指揮を取るよう任命されました。彼は戦闘で650回飛行し、59機撃墜し、6機を協同撃墜しました。