The Wartime Flying Life of Leif Lundsten Ep III: Test Pilot

一般人であろうと軍人であろうと、スーパーマリンで空を飛んだものはみな必ず企業の成功の礎となります。
そして、一部の人間はその過程で命を落としました。

- ヴィッカース・アームストロング スーパーマリンのチーフ・テストパイロット Jeffrey Quill(1953年刊行 Flight Magazine より)



Spitfire Gloryに記されたLeif Lundstenの最新エピソードをご紹介します
(Knut “EAF331_Stuntman” Åshammer 著):
彼の味わったテスト飛行に伴う危険や、曲芸飛行のスリル、
グリフォンエンジン搭載の最初のMk XIVで飛んだパイロットの1人としての独自の経験を感じてください。



1943年6月6日、キャプテンLeif Lundstenの新たな人生が始まりました。
イギリス空軍第331飛行隊が軍務に就いて23ヶ月が経過したとき、
待ちに待った休暇の許可が下りました。
しかし、実際には休息の時間などほとんどありませんでした。
当時は戦争の真っ只中であり、Leifは拡大を続けるイギリス空軍において
極めて重要な役目を果たさねばならなかったのです。

1940年に起きたノルウェーの戦い以前から軍のパイロットであった彼は、
1941年8月にカナダの訓練部隊リトル・ノルウェーから誕生した
ノルウェーの戦闘機パイロットの最初の一団である
第1戦闘航空団の一員となりました。
彼らは共にイギリス空軍で初となるノルウェーの戦闘機部隊、
第331飛行隊の中核を形成しました。

彼らの部隊コードは「FN」でした。これは公式のスローガンである
“For Norge” (ノルウェーのために)を象徴しています。

21ヶ月ものあいだ休むことなくスピットファイアと共に空を飛び続けたLeif Lundstenは、航空機における豊富な経験を買われ、
イギリス空軍基地 Worthy Downのスーパーマリン試験施設に配属されました。
そこには視界を遮り、いくつもの事故を引き起こした忌まわしき「丘」がありました。
チーフ・テストパイロットのJeffrey Quillが試験監督官に衝突するという事故が発生し、2人のパイロットが命を落としかけたこともあります。

それまでのLeifの任務は「ロデオ」作戦での戦闘機の一掃、「サーカス」の爆撃機の護衛、
「ルバーブ」といわれるフランス上空での低空襲撃などでしたが、
配属後、最新のスピットファイアとその試作機のテストを任務とするようになりました。
前線の部隊とは全く異なる生き方ではありましたが、危険がなくなったわけではありません。

1942年10月31日、BS229号機は初飛行を遂げ、その次の年には試験用として広く利用されるようになりました。
試験ではロール角速度の測定、補助翼の幅の縮小、一酸化炭素汚染検査、安定度試験など詳細な調査が行われました。
1943年10月、BS229号機はエアブレーキとなる着陸フラップの試験を受けました。
そして、運用が始まって約3年が経過した1945年に廃棄されました。

Spitfire Glory - p. 136

地上標的を機銃掃射する際、Fw190は太陽や対空砲火を避けますが、
製品テスト中は、機械故障や悪天候でさえ、命取りになる可能性がありました。
完璧なスピットファイアは存在しません。
彼の任務はスピットファイアが完璧であることを確かめることでしたが、
遅かれ早かれ、事故は起こる運命にあったのです。
それはすぐに明らかになりました。

1943年8月6日、LiefはMk VII BS229号機で第331飛行隊の作戦基地である
ノース・ウィールドに飛びました。
恐らく、戦闘での武勇を示す新しいDFC(殊勲飛行十字章)を受け取るために
向かったのでしょう。
そこからWorthy Downへ戻る途中、Liefは降着装置の故障に見舞われ、
胴体着陸を余儀なくされました。

激しく揺れましたが怪我はなく、
その後まもなくLiefはMk IX BS118号機のテスト飛行を行いました。
彼はほぼ毎日、1日に何機ものスピットファイアのテストを行っていました。
彼がテストを行ったスピットファイアはオーストラリアから
ビルマと周辺の極東、北アフリカ、マルタと地中海、
果てはイングランドの地方部隊に至るまで、世界中に届けられました。

Leifは生真面目ではあるものの穏やかな男性でした。
彼はノルウェーのBilittという田舎の村に生まれ、質素な生活を送っていました。
この生い立ちから、彼はWorthy Downにいる他の多くのテストパイロットとは異なる存在でした。
Jeffrey QuillがはっきりとLiefの名を上げることは決してありませんでしたが、
スーパーマリンのチーフ・テストパイロットの示す責任ある姿勢は
全てのパイロットから称賛されていたことが知られています。


Worthy Downは1941年にグリフォンエンジン搭載のスピットファイアのテストを初めて行った飛行場であり、
初期のシーファイアに関しても、開発の多くはこの飛行場で行われました。
Liefのテストパイロットとしての歴史上最も重要な出来事はほぼ間違いなく、生産された最後のXIIであるMk XII MB882号機に関わったことです。
9月24日、彼はこの歴史的な機械の部品を受け取り、製品テストとしてWorthy Downに向けて飛ばすため、ハイ・ポストに向かいました。
それが最後だとわかっていたLiefはたった一度だけ自身の航空日誌に余分なコメントを残しました。
これは彼が普段見せるプロとしての行動からすると本当に珍しいことでした。
最後のXIIで飛んだことはLiefにとって特別な出来事だったのでしょう。
ですが、その日彼が経験した注目すべき出来事はMB882号機だけではありませんでした。

Worthy Downに配属中のLiefの最も有名な任務は初期のXIVの試作機のテスト飛行でした。
Liefは最初のJF320のなかの1機を飛ばし、その性能を入念にテストしました。
この初期のXIVシリーズ6機は機体はMk VIIIのままグリフォン61エンジンを搭載したものであり、非公式ではVIIIgとして知られていました。
特にシリアルナンバーはVIIIのように見えたので、Lundstenがマークの変化をあっさりと見逃していた可能性も十分にあります。
ですが、実際、彼の航空日誌にはしっかり XIVと記されていました。
同じ日に最後のXIIと最初のXIVの1機で飛ぶという経験をしたその日はLiefにとって素晴らしい日だったに違いありません。



テストパイロットの任務に就いているあいだ、Leif Lundstenはスピットファイアの進化を身をもって体験しました。
彼は多くの航空史家にとって無名の人物であり、世間ではほぼ完全に忘れ去られています。
ノルウェーの学校では自国のパイロットが戦争に貢献したことは教えられません。
彼は航空機における広範な知識をもって様々なマークを持つ280を超えるスピットファイアを飛ばし、
イギリス空軍の最も経験豊かなスピットファイアのパイロットの1人となりました。
危険な時代がやって来ることは避けられず、彼は苦難に直面しました。
侵略が迫ろうとも、彼は第331飛行隊を導かねばなりませんでした。
そして、多くの友人たちが命を落としたのです。

Episode IV: The war goes onに続く



War Thunderがお送りしているこの映画シリーズは
Tor Idar Larsen著「Spitfire Glory: The Wartime Flying Life of Leif Lundsten」に基づいています。






著者: Knut “EAF331_Stuntman” Åshammer