歴史の1ページ(8月)




1か月間に1つずつ完了可能な計8個のタスクをご用意しました。各タスクを完了すると報酬が含まれたトロフィーを獲得でき、全タスクを完了するとユニークなゲーム内プレイヤーアイコンを獲得できます。


現在プレイ可能なタスクの詳細と全体の進捗状況は下記手順にて確認することができます:
プロフィール→達成→Pages of History:歴史



アレクサンドラ・サムセンコは、1941年から1945年に亡くなるまで、ソ連軍で戦った戦車指揮官及び連絡将校です。彼女は、戦車大隊で唯一女性の副隊長でした。クルスクの戦いでは、その勇敢な行動が評価され、赤星勲章を受章しました。サムセンコは、1945年3月3日に負傷したことが原因で死亡しました。彼女はポーランドのウォベスの町の広場に埋葬されています。




アレクサンドラ・サムセンコ


9月3日(土)20:30(JST)までに下記手順にてゴールデンイーグルを使用すると、タスクを完了することなく即座にプロフィールアイコンを購入できます:
プロフィール→達成→Pages of History:歴史(8月)

各タスクの報酬とトロフィー


各タスクを完了すると、下記いずれかの報酬を含むトロフィーを獲得することができます:

  • 3回から10回までのバトルで使用可能な20%から50%までのリサーチポイント(RP)ブースター
  • 3回から10回までのバトルで使用可能な20%から50%までのシルバーライオン(SL)ブースター
  • 3つから5つまでの一般的なバックアップ兵器
  • 1日間のプレミアムアカウント
  • 地上車両用のランダムなカモフラージュ(ゲーム内実績またはゴールデンイーグルで獲得可能なものに限ります)

  • その他


  • タスクは20:00(JST)から各タスクの最終日の20:30(JST)まで利用可能です。
  • タスクは「アサルト」モードを除いたランダムバトル内で完了できます。

  • 8月2日から8月5日まで
    ルミャンツェフ作戦


    1943年8月3日、クルスクの戦いは最終段階に達しました。赤軍はベルゴロド・ハリコフ攻撃作戦を開始し、18世紀のロシアの最も著名な将軍の一人にちなんで「ポルコヴォデツ・ルミャンツェフ」と命名されました。作戦の目標は達成されましたが、その代償は大きいものでした。8月5日にベルゴロド、8月23日にハリコフが解放されてからは、ベルゴロドでは8月5日に、ハリコフでは8月23日にシティ・デーとして祝われています。

    8月6日から8月9日まで
    リュティヒ作戦


    ノルマンディーのモルテンの町付近の米軍陣地に対するドイツ軍の必死の反攻は、第一次世界大戦初期にドイツ軍が勝利したベルギーの町リエージュにちなんでリュティヒ作戦と命名されました。しかし、1944年8月の時点でドイツは有効な反撃に十分な火力を保有していなかったため、連合軍が制空権をとりました。その結果、戦車の半数を失い、数週間後にはドイツ第7軍全体が包囲され、連合軍に降伏しました。

    8月10日から8月13日まで
    タルトゥ攻勢


    1944年6月末にナルバを解放した赤軍は、さらに西に進み、エストニア第二の都市タルトゥを目指しました。しかし、ソ連軍は敵の強固な陣地を正面から攻撃するのではなく、敵陣の背後に数千の兵力を送った上でぺイプシ湖を横断しました。このことが、8月25日に実現したタルトゥの解放における重要な役割を果たしました。

    8月13日から8月16日まで
    鷲攻撃作戦


    1940年8月13日は、ドイツ国防軍の計画では「Adlertag (鷲の日)」として記されていました。この日、ドイツ空軍は、ドイツ陸軍によるイギリス侵攻を意味するアシカ作戦に先立ち、イギリス空軍を爆破する鷲攻撃作戦を実行する予定でした。しかし、「鷲の日」でも翌月でも、ドイツ空軍は決定的な空中戦を制することができませんでした。そのため、アシカ作戦は中止となり、ドイツはイギリスへの集中爆撃に踏み切りました。

    8月17日から8月20日まで
    スターライト作戦


    アメリカ軍がベトナムで行った最初の大規模な軍事作戦です。ベトコン(ベトナム共産勢力)が米軍チュライ航空基地を攻撃するという情報を得た米軍司令部は、陸・空・海軍の各部隊による先制攻撃を開始しました。1965年8月18日、アメリカ海兵隊はベトコン(ベトナム共産勢力)陣地の近くに上陸し、敵は抗うことすら敵いませんでした。生き残ったゲリラ兵は撤退を余儀なくされました。

    8月21日から8月24日まで
    コゼリスク攻勢


    1942年8月22日から9月10日にかけて、赤軍はカルーガの地で攻勢を展開し、ドイツ軍を遮断することを目標としました。しかし、ソ連軍は激戦の末に500両の戦車を失い、ドイツ軍を足止めしたのみにとどまり、包囲することはかないませんでした。

    8月24日から8月27日まで
    ラビの戦い


    1942年8月25日、日本軍の海軍陸戦隊は東部ニューギニアのミルン湾ラビにおいて、連合軍飛行場へ攻撃を開始しました。日本軍司令部はオーストラリア軍の数を著しく過小評価しており、最終的にオーストラリア軍は日本軍を粉砕したことにより、生存者は避難を余儀なくされました。第二次世界大戦において、連合国が日本軍の歩兵に勝利した初めての大勝でした。

    8月28日から8月31日まで
    アラム・ハルファの戦い


    1942年8月30日から9月5日まで、陸軍元帥エルヴィン・ロンメルの指揮下にあった枢軸軍は、エジプトのエル・アラメインの南にかけてイギリス軍を包囲しようとしました。それは、アフリカで最後に行われた主要な枢軸軍の攻撃となりました。ロンメルは、援軍が到着するまでに英軍を潰すことを望んでました。しかし、エニグマ・コードの解読に成功していた敵が、枢軸軍のメッセージをすべて傍受していたことを知りませんでした。イギリス軍は、枢軸軍を彼らが指定した場所へとおびき寄せ、対戦車砲として戦車を利用し、彼らの攻撃を防ぐことに成功したのでした。