歴史の1ページ(6月)
2023-05-29 21:00
イベント
今月の歴史の1ページでは、数々の戦場で起こった出来事の中心人物になることができます。太平洋戦争における最も重要な2つの戦いである、ノルマンディー上陸作戦とバルバロッサ作戦の始まりをはじめ、歴史的な戦いで使用された兵器を使用してバトルに参加し、報酬を獲得しましょう!
6月1日から6月30日までの間、1つずつ完了可能な計8個のタスクをご用意しました。各タスクを完了すると報酬が含まれたトロフィーを獲得でき、全タスクを完了するとユニークなゲーム内プレイヤーアイコンを獲得できます。 |
ドイツがソ連に侵攻したとき、ニコライ・ガステロはすでに空軍少佐であり、9年の飛行経験を持つベテランパイロットでした。バルバロッサ作戦開始の2日後となる1941年6月24日、ガステロは飛行場で休止していたDB-3f雷撃機の砲塔だけを使用して、ドイツ空軍の航空機を撃墜させることに成功しました。 6月26日、ガステロの操縦する航空機が燃料タンクに対空砲火を被弾し、炎上しました。ところが、ガステロはその炎上した爆撃機で敵に突進したのです。ガステロにはソ連邦英雄の称号が授与され、その勇敢さは他のソ連軍パイロットの模範となりました。 |
7月3日(月)20:30(JST)までに下記手順にてゴールデンイーグルを使用すると、タスクを完了することなく即座にプロフィールアイコンを購入できます:プロフィール→達成→Pages of History:歴史(6月)
各タスクの報酬とトロフィー
タスクを完了すると、下記いずれかの報酬を含むトロフィーを獲得することができます:
その他
6月1日から6月4日まで
ミッドウェー海戦
真珠湾攻撃からおよそ半年後の1942年6月上旬、太平洋戦争における最も重要な海戦が勃発しました。敵の航空母艦4隻をすべて沈没させたアメリカは、大日本帝国海軍に壊滅的な敗北をもたらすことに成功しました。ミッドウェー後の日本は、前進するための資源を失い、終戦まで自国を守ることを余儀なくされました。
6月5日から6月8日まで
D-デイ
1944年6月6日、史上最大規模の上陸作戦が実施されました。2万4千人以上の落下傘部隊が敵陣の背後に投下され、連合軍からさらに13万人が海からに安全に上陸できることを確実にしました。その日のうちに、5つの歩兵師団と2つの空挺師団がノルマンディーの海岸に上陸することに成功し、西ヨーロッパの第二戦線が開かれたのです。
6月9日から6月12日まで
スルタン・ヤクーブの戦い
レバノン戦争において、イスラエル軍はベイルート・ダマスカス間の高速道路の突破を試みたものの、シリア軍の激しい抵抗に遭いました。そして、直接戦闘を避けるために歩兵、大砲、航空隊を駆使してイスラエル戦車を破壊していた敵に、イスラエルの戦車大隊は包囲されてしまいました。しかし、イスラエルのほぼすべての砲兵部隊が救援に駆けつけたおかげで、ほとんどの兵士が脱出することに成功したものの、戦車の損失は甚大でした。
6月12日から6月15日まで
ヴィレル・ボカージュの戦い
ノルマンディー上陸から1週間後、小さな街のヴィラール・ボカージュに進攻し、そこで思いがけずドイツ国防軍の一部と遭遇しました。不意を突かれたドイツ軍は、数両の戦車数両を失ったものの、優れたティーガーを上手く駆使し、イギリス軍の車両を数十両も撃破しました。しかし、その後相手を追跡しているうちに罠にかかってしまい、さらに損害を被る結果となりました。
6月15日から6月18日まで
バトルアクス作戦
1941年6月15日から17日にかけて、イギリス連邦軍はトブルクの包囲を解き、東キレナイカから枢軸軍を押し出そうとしました。第二次世界大戦の開始以来、ドイツ軍の大規模な部隊が初めて守備に回らざるを得なくなったものの、エルヴィン・ロンメルはこの防衛戦を巧みに計画し、約100両の戦車と36機の航空機を失った連合軍は、撤退を余儀なくされたのでした。
6月19日から6月22日まで
マリアナ沖海戦
1944年6月19日、日本は最大の空母部隊を従えてマリアナ沖海戦に臨みました。しかし、よく訓練されたアメリカ軍とその最新鋭の対空防御網に対し、経験不足の日本軍のパイロットでは太刀打ちすることができませんでした。その結果、日本はこの戦いで600機以上の航空機を失い、防衛のための十分な航空機も残っていなかったことから、航空母艦を運用することはそれ以来ほとんどありませんでした。
6月23日から6月26日まで
ラセイニアイの戦い
1941年6月23日、リトアニアに駐留していた赤軍の一部は、ドイツ軍の侵攻を食い止めようとしました。しかし、計画と物資の不足のため、その任務は失敗し、ほぼすべてのソ連軍の戦車が破壊されました。ところが、KVだけは道の真ん中で燃料切れを起こしながらも、最後まで敵を狙撃し続け、丸一日にわたってドイツ軍の前進を阻止することに成功しました。
6月27日から6月30日まで
ファイヤーラム
1941年6月26日、ニコライ・ガステロの操縦する爆撃機が墜落するさなか、ドイツ軍の戦車隊に向かって突撃を敢行しました。この英雄的行為はソ連のマスメディアによって広く紹介され、彼と同様の最期を遂げるパイロットは、ガステロに敬意を表して「ガステロフツィ」と呼ばれるようになりました。戦争中、ソ連軍のパイロットによって行われたこの同様の英雄的行為は、総勢で1,000機以上に上りました。
The War Thunder Team