歴史の1ページ(9月)
2023-08-28 20:00
イベント
今月の歴史の1ページでは、第二次世界大戦から、1960年代および1980年代の紛争の数々の戦場で起こった出来事の渦中に身を置くことになります。これらの歴史的な戦いで使用された兵器を使用してバトルに参加し、報酬を獲得しましょう!
9月1日から9月30日までの間、1つずつ完了可能な計8個のタスクをご用意しました。各タスクを完了すると報酬が含まれたトロフィーを獲得でき、全タスクを完了するとユニークなゲームプレイヤーアイコンを獲得できます。 |
学生でありながら、アルハンゲリスクにある幼稚園で教師を務めていたローザ・シャーニナは、志願兵として赤軍に入隊しました。狙撃兵学校を優秀な成績で卒業し、1944年4月から戦闘に参加するようになりました。その勇気と戦果が認められた彼女は、わずか2週間の戦闘後に3級栄誉勲章が授与され、第3ベラルーシ戦線の女性軍人として初めてこの勲章を受章しました。その後、ヴィーツェプスクとヴィリニュスでの戦闘に参加し、1944年9月初めには東プロイセン国境でドイツ軍の狙撃兵を追い詰めました。その時点で彼女が殺傷した人数は50人を超え、1944年9月16日には2級栄誉勲章を授与されました。 |
10月3日(火)20:30(JST)までに下記手順にてゴールデンイーグルを使用すると、タスクを完了することなく即座にプロフィールアイコンを購入できます:プロフィール→達成→Pages of History:歴史(9月)
各タスクの報酬とトロフィー
タスクを完了すると、下記いずれかの報酬を含むトロフィーを獲得することができます:
その他
9月1日から9月4日まで
ブリャンスク戦線
クルスクの戦いでの勝利後、ソ連軍はブリャンスクへの進撃を続ける予定でした。ブリャンスク攻勢の最初の2週間は失敗に終わったものの、マルキアン・ポポフ大将の決断により9月初旬になってようやく、赤軍が敵の防御を突破することに成功しました。
9月4日から9月8日まで
1945年ベルリン戦勝記念パレード
1945年9月7日、ソ連の提案により、ベルリンで戦勝パレードが開催されました。ゲオルギー・ジューコフ元帥(ソ連)、ジョージ・パットン将軍(アメリカ)、ブライアン・ロバートソン将軍(イギリス)、マリー=ピエール・ケーニグ将軍(フランス)が出席し、ソ連はこのパレードを、重戦車IS-3を初めて公の場でデモンストレーションする機会として利用しました。
9月8日から9月11日まで
アサル・ウッターの戦い
第二次印パ戦争最大の戦車戦が、1965年9月8日から10日まで行われました。この戦いは、パキスタン軍のインド領内への侵入から始まり、彼らの敗北と撤退によって幕が閉じられました。パキスタン軍はこの戦闘で100両近い戦車を失い、この地は「パットンの墓場」と呼ばれるようになりました。それに対し、インド軍のセンチュリオンの損失は、その3分の1に過ぎませんでした。
9月12日から9月15日まで
バルト海攻勢
1944年9月14日、エストニア、ラトビア、リトアニアの領土に対するソ連軍の大規模な攻勢であるバルト海攻勢が開始されました。その作戦は成功を収め、ドイツ国防軍の大部分がクールラント・ポケットで阻止され、赤軍は東プロイセンに到達しました。
9月16日から9月19日まで
アラクールの戦い
1944年9月18日から29日まで、フランス北東部のアラクールで戦いが続きました。バルジの戦いが勃発するまで、この戦いは西部戦線でアメリカ軍が参加した最大の戦車戦でした。兵力と戦車の数ではドイツ側が優勢だったものの、より優れた情報、戦術、地形を利用したことにより、アメリカ軍が勝利を収め、最終的には敵をドイツとの国境まで押し戻しました。
9月20日から9月23日まで
グリゴリエフカ上陸作戦
ソ連海軍による黒海への最初の上陸作戦です。1941年9月21日から22日にかけての夜、オデッサから30キロメートル離れたグリゴリエフカ近郊の枢軸側の戦線後方に、ソ連の小規模の部隊が上陸しました。この部隊は、オデッサに駐留していた主力部隊とともに、ルーマニアの師団2つを撃退し、前線をオデッサから数キロメートルまで押し上げました。
9月23日から9月26日まで
トゥアプセ防衛作戦
1942年9月25日、ドイツ軍のクバンにおける大規模な攻勢が始まりました。赤軍は、トゥアプセ防衛作戦により、この攻勢を封じ込めることに成功しました。その結果、ドイツ国防軍はトゥアプセだけでなく、グルジアへの道にも、カスピ海にも到達することはできませんでした。
9月27日から9月30日まで
サーメノル=アエンメ作戦
1981年9月27日から29日にかけて、イラン軍はアーバーダーンの包囲を解くことを目的に、サーメノル=アエンメ作戦「第8代イマーム」を実行しました。この作戦は、イラク側に敵がバスラに進軍していると思わせる陽動作戦、イラン空軍の制空権を利用したイラク地上軍への攻撃、そして最後にイラン軍の三方面からの攻撃によって構成されています。損害はほぼ等しかったものの、イラク軍は何百両もの戦利品を残して撤退していきました。
The War Thunder Team