歴史の1ページ(1月)


今月の歴史の1ページでは、イラン、サウジアラビア、フィリピン、東プロイセンなど、さまざまな戦場で起こった出来事の渦中に身を置くことになります。これらの歴史的な戦いで使用された兵器を使用してバトルに参加し、報酬を獲得しましょう!


1月1日から1月31日までの間、1つずつ完了可能な計8個のタスクをご用意しました。各タスクを完了すると報酬が含まれたトロフィーを獲得でき、全タスクを完了するとユニークなゲームプレイヤーアイコンを獲得できます。



ヴァシリ・アントノヴィッチ・マツィエヴィッチ


ヴァシリ・アントノヴィッチ・マツィエヴィッチは、1941年から第二次世界大戦で戦ったエースパイロットです。彼が指揮した戦闘飛行隊は、包囲されたレニングラードを敵の襲撃から守り、ドイツ国防軍の陣地に攻撃を仕掛けました。レニングラードの包囲が解かれた後すぐに、マツィエヴィッチはその勇敢さを称えられてソ連邦英雄の称号を授与されました。




2月3日(月)20:30(JST)までに下記手順にてゴールデンイーグルを使用すると、タスクを完了することなく即座にプロフィールアイコンを購入できます:プロフィール→達成→Pages of History:歴史(1月)



各タスクの報酬とトロフィー


タスクを完了すると、下記いずれかの報酬を含むトロフィーを獲得することができます:

  • 3回から10回までのバトルで使用可能な20%から50%までのリサーチポイント(RP)ブースター
  • 3回から10回までのバトルで使用可能な20%から50%までのシルバーライオン(SL)ブースター
  • 3つから5つまでの一般的なバックアップ兵器
  • 1日間のプレミアムアカウント
  • 地上車両用のランダムなカモフラージュ(ゲーム内実績またはゴールデンイーグルで獲得可能なものに限ります)

  • その他


  • タスクは20:00(JST)から各タスクの最終日の20:30(JST)まで利用可能です。
  • タスクは「アサルト」モードを除いたランダムバトル内で完了できます。

  • 下記手順にて、各日のタスクや詳しい説明、および全体的な進捗状況を確認できます:プロフィール→達成→Pages of History:歴史(1月)



    カレンダー


    1月1日から1月4日まで


    ボーデンプラッテ作戦

    1945年1月1日、ドイツ空軍はアルデンヌへの反撃のために制空権を確保することを目的として、オランダにある連合軍の飛行場に対して大規模な攻撃を仕掛けました。約500機の連合軍機を破壊することができたものの、奇襲であったために連合軍機が地上にあったことで、連合軍のパイロットの損失はわずかでした。連合軍は損失した装備をすぐに補充した一方で、ドイツ空軍は人員の損失を補うことができず、これがドイツ空軍にとって最後の戦略的作戦となりました。

    1月4日から1月7日まで


    デズフールの戦い

    1981年1月5日から9日にかけて、イラン南西部のデズフール近郊で、イラン・イラク戦争最大の戦車戦が繰り広げられました。イラク軍は、イラン軍が接近していることを認識し、戦車を砲塔まで埋めるなどして準備を整えていました。彼らは機動戦を行えるほどのスキルを有していなかったため、よくこの戦術を実践していましたが、今回のぬかるんだ地形は彼らにとって有利でした。イラン軍は正面および側面から奇襲を受け、突破を試みるも失敗し、回避行動をとり始めたものの沼に嵌ってしまいました。イラン南西部の都市を解放するために行われた作戦は完全に失敗し、数百両の車両を失う結果となりました。

    1月8日から1月11日まで


    ルソン島の戦い

    1945年1月9日、フィリピン諸島最大の島であるルソン島において戦闘が開始しました。アメリカ軍とフィリピン軍は3月までに島の大部分を取り戻したものの、この戦闘は終戦まで続きました。戦いの初めには175,000人のアメリカ兵が島に上陸しましたが、上陸作戦は神風特攻隊の攻撃によって妨げられました。1月下旬から2月初旬にかけて、太平洋戦線における最大の戦車戦がルソン島で繰り広げられました。

    1月12日から1月15日まで


    ブラックコック作戦

    ライチョウの一種から名付けられたこのあまり知られていない作戦は、1945年1月13日から27日まで、オランダとドイツの国境で行われました。アルデンヌで勝利した連合軍は、ドイツに向けて進軍を開始し、ルール川、ヴルム川、マース川からなる「ルールモント三角地帯」において、イギリス軍がドイツ軍の3重の防衛線に遭遇しました。しかし、ドイツ軍は数で劣り、航空支援も受けられなかったため、敗北は時間の問題でした。ブラックコック作戦は完全に成功しました。

    1月16日から1月19日まで


    レニングラード包囲戦の突破

    1943年1月18日、赤軍はイスクラ作戦の一環として、1941年9月から続いていたレニングラードの包囲を突破しました。ソ連が当初支配した回廊の幅はわずか8~11kmでしたが、都市に必要な物資を運搬し、人々を避難させるために、最短時間で高速道路と鉄道が建設されました。しかし、赤軍はその後も成功を続けることはできず、レニングラードから完全に敵を排除できたのは、それから1年後のことでした。

    1月20日から1月23日まで


    アンツィオの戦い

    1943年12月、イタリアを進軍していた連合軍は、グスタフ・ラインで足止めされました。連合軍は、枢軸軍の要塞を側面から迂回するために、水陸両用作戦を実行し、1944年1月22日にアンツィオに上陸しました。指揮官であるアメリカ陸軍のジョン・ルーカス少将は、この作戦の成功を信じておらず、ドイツ軍を背後から奇襲するのではなく、アンツィオとネットゥーノで防御を固め始めました。ドイツ軍元帥ケッセルリンクは、戦闘可能な部隊をすべてこの地域に移し、ポンティノ湿地帯を水没させ、継続的な砲撃により連合軍を足止めしました。1か月後、ルーカス少将は指揮官の任を解かれ、アンツィオの戦いは6月まで続きました。

    1月24日から1月27日まで


    ハイリゲンバイル・ポケット

    1945年1月26日、ドイツ国防軍第4軍は、東プロイセンのハイリゲンバイル(現在のカリーニングラード地域のマモノヴォ)近郊の包囲を突破するために、最後の試みを行いましたが、この試みは失敗に終わりました。1月30日、ソ連軍の包囲は閉じられ、ドイツ軍は自分たちの陣地を保持し、バルト海経由で市民を避難させることしかできませんでした(軍司令部は軍の避難を禁止しました)。3月29日、ハイリゲンバイル・ポケットのすべては破壊されました。

    1月28日から1月31日まで


    カフジの戦闘

    1991年1月後半、多国籍軍はイラクを空から効果的に攻撃しました。イラク軍は終結したばかりのイラン・イラク戦争で地上戦の経験を得ていたため、サダム・フセインは敵との地上戦を望んでいました。1月29日、100両以上のイラク軍戦車がクウェートおよびサウジアラビアの国境を越え、多国籍軍を攻撃し、カフジ市を占領しました。市民は事前に避難を完了していました。1月30日、イラク軍はこの都市の防衛に成功しましたが、2月1日には撤退を余儀なくされました。この戦闘によって、現代戦における航空支援の重要性が証明されました。



    The War Thunder Team