歴史の1ページ(10月)


今月の歴史の1ページでは、オランダや東プロイセン、フィリピンやガダルカナル島などの出来事の渦中に身を置くことになります。これらの歴史的な戦いで使用された兵器を駆使してバトルに参加し、報酬を獲得しましょう!


10月1日から10月31日までの間、1つずつ完了可能な計8個のタスクをご用意しました。各タスクを完了すると報酬が含まれたトロフィーを獲得でき、全タスクを完了するとユニークなゲームプレイヤーアイコンを獲得できます。



レオ・メジャーは、複数の戦争に従軍し、ディスティンギッシュト・コンダクト・メダルを授与された唯一のカナダ人です。彼はノルマンディー上陸作戦に参加し、カーンの戦いで左目を失いましたが、軍務に留まることを主張しました。スヘルデの戦いでは、彼は単独で93人のドイツ兵を捕虜にしました。1945年、メジャーは単独でオランダの都市ズヴォレを解放した功績を称えられ、初めてディスティンギッシュト・コンダクト・メダルを授与されました。彼が夜通し行った行動により、ドイツ軍は撤退を余儀なくされ、連合軍は予定していた同都市への爆撃を中止しました。さらに6年後、彼は朝鮮戦争において戦略上重要な高地を確保したことで、2つ目のメダルを授与されました。




下記手順により、11月3日(月)20:30(JST)まではタスクを完了しなくともゴールデンイーグルの使用によりプロフィールアイコンを直接購入することができます:プロフィール→達成→Pages of History:歴史(10月)



各タスクの報酬とトロフィー


タスクを完了すると、下記いずれかの報酬を含むトロフィーを獲得することができます:

  • ・3回から10回までのバトルで使用可能な20%から50%までのリサーチポイント(RP)ブースター
  • ・3回から10回までのバトルで使用可能な20%から50%までのシルバーライオン(SL)ブースター
  • ・3つから5つまでの一般的なバックアップ兵器
  • ・1日間のプレミアムアカウント
  • ・地上車両用のランダムなカモフラージュ(ゲーム内実績またはゴールデンイーグルで獲得可能なものに限ります)

  • その他


  • ・タスクは20:00(JST)から各タスクの最終日の20:30(JST)まで利用可能です。
  • ・タスクは「アサルト」モードを除いたランダムバトル内で完了できます。

  • 下記手順にて、各日のタスクや詳しい説明、および全体的な進捗状況を確認できます:プロフィール→達成→Pages of History:歴史(10月)


    カレンダー


    10月1日から10月4日まで


    スヘルデの戦い

    1944年9月4日、連合軍はアントワープを占領しましたが、港までのアクセスはスヘルデ川沿いのドイツ軍によって阻まれていました。そのため、10月2日、前線への補給線を確保するためにアントワープの港を解放する作戦を開始しました。この作戦には主にカナダ軍部隊が参加し、11月初旬までに目標を達成しました。

    10月5日から10月8日まで


    第二次ベララベラ海戦

    1943年10月6日、ベララベラ島(ソロモン諸島)近海において、同島から撤退中の部隊を支援していた日本海軍は、連合軍と戦火を交えました。両軍ともに1隻の駆逐艦を失いましたが、この戦いにおいて日本軍は撤退を成功させることができました。

    10月9日から10月12日まで


    オルシャ攻勢

    1943年10月12日、赤軍はベラルーシの都市オルシャ近郊で攻撃作戦を実行しました。しかし、赤軍はドイツ軍を要塞から撃退することに失敗し、甚大な損害を被ったものの、わずかな戦果しか得られませんでした。オルシャは翌年の夏までドイツ軍の支配下にあり続けました。

    10月13日から10月17日まで


    グンビンネン作戦

    1944年10月16日、ソ連軍は激しい砲撃を行った後に、ネマン川から東プロイセンへ向けて攻撃を仕掛け、狭く開けた場所や湿地帯の森を進軍しました。10月22日にはグンビンネンを占領したものの、2日後にはドイツ軍の反撃によって失いました。多大な損害を被りながらも、ソ連軍は東プロイセンを80km前進しました。しかし、ケーニヒスベルク付近の前線に変化はほとんどありませんでした。

    10月17日から10月20日まで


    レイテ島の戦い

    1944年10月17日、アメリカ軍はフィリピンのレイテ湾において最初の上陸作戦を実行しました。日本軍はこのことについてあまり注意を払っていませんでしたが、10月20日までにさまざまな島で大規模な上陸作戦が行われました。連合軍は陸と海の両方で日本軍に壊滅的な打撃を与え、フィリピン解放への道を開きました。

    10月20日から10月23日まで


    第二次エル・アラメイン会戦

    1942年の夏が終わるまでに、枢軸国による北アフリカでの攻勢は停止し、ロンメル元帥の部下たちは守勢に回っていました。10月23日から24日にかけての夜、連合軍は攻撃を開始し、11月初旬までにはドイツ・イタリア軍の防衛線を突破しました。この戦いは北アフリカ戦線の趨勢を決定づけるものとなり、その後の戦略的主導権は完全に連合軍へ移りました。

    10月23日から10月27日まで


    ヘンダーソン基地の戦い

    1944年8月初旬、アメリカ軍はガダルカナル島上陸作戦の一環として、建設中の飛行場を占領しました。この飛行場は、ミッドウェー海戦で戦死したアメリカ海兵隊の指揮官ロフトン・ヘンダーソン少佐に因んで、ヘンダーソン飛行場と名付けられました。10月23日から26日にかけて、日本軍は空と海から支援を受けた地上部隊の奇襲攻撃によって飛行場の奪還を試みました。この戦いでは数十人のアメリカ兵と、2,000人から3,000人の日本兵が戦死しました。日本軍はこの敗北の後、ガダルカナル島において大規模な攻勢を試みることはありませんでした。

    10月28日から10月31日まで


    ブダペスト攻勢

    西ルーマニア解放とブカレスト占領の後、ソ連軍司令部はハンガリーの枢軸軍を撃退し、オーストリアとの国境へ到達する任務を負いました。1944年10月29日、ティサ川において攻撃が開始されました。11月4日、ソ連軍はブダペスト郊外に到達しましたが、攻撃は冬を通して続けられました。都市に残っていたドイツ軍部隊は、2月13日にようやく降伏しました。



    The War Thunder Team