
どうも皆さん! いかがお過ごしでしょうか。さて、今回もまたコレクション可能なデカールの数々を紹介できることを嬉しく思います!今回は、日本向けの珍しい大型ネコ科動物や、Fenris氏によって見事に再現されたソ連向けのバグラームの鳥の1つが含まれています。
先月アンケートにご協力いただいた皆さまにも厚く御礼申し上げます。皆さまの回答や提案をまとめ、可能な限り今後の計画に反映させていく予定です。もちろん、フォーラムでのご意見もお待ちしております。常に確認していますので、お気軽にお寄せください!
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8月10日(月)20:00(JST)から9月10日(木)18:00(JST)まで、下記のデカールを獲得可能です。
各タスクは、ランクIII以上の兵器を使用することで達成できます。
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新デカール
日本 陸上自衛隊富士学校 富士教導団 普通科教導連隊 第4中隊「歌舞伎クーガー」の記章
日本の軽戦車を使用して、敵プレイヤーを40回撃破する |
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ソ連 第120親衛戦闘機航空連隊(120th IAP)「ウラジミール・アスタホフ」のパーソナルマーク
ソ連の航空機を使用して、1~3位でゲームを3回終える |

イギリス 碑文「カジュアル(Casual)」
イギリスの地上車両を使用して、15,000スコアを獲得する |
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フィンランド 第24戦闘飛行隊 第3小隊の記章(後期)
フィンランドまたはスウェーデンの航空機を使用して、敵プレイヤーを50回撃破する |
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中国 碑文「朱德号(Zhu De)」
中国の地上車両を使用して、1~5位でゲームを5回終える |
陸上自衛隊富士学校 富士教導団 普通科教導連隊 第4中隊「歌舞伎クーガー」の記章
陸上自衛隊富士学校 富士教導団 普通科教導連隊 第4中隊の記章。普通科教導連隊自体は1968年1月25日に編成されましたが、第4中隊が編成されたのは少し後のことでした。同団の装甲輸送隊が廃止された後、人員と車両は1988年3月26日に新編された第4および第5中隊に移管されました。特に第4中隊は、愛称「クーガー」と呼ばれる96式装輪装甲車を運用しており、これが記章のモチーフとなりました。この大型ネコ科動物の顔には赤い歌舞伎風の模様が描かれており、中隊にちなんで数字の「4」を形成しています。このマーキングは全体として非常に珍しく、中隊の車両の車体後部側面に、クーガーの頭が前方に向くように配置されていました。
第120親衛戦闘機航空連隊(120th IAP)「ウラジミール・アスタホフ」のパーソナルマーク
ソ連空軍 第120親衛戦闘機航空連隊(120th IAP)「ウラジミール・アスタホフ」のパーソナルマーク。1988年9月26日、アスタホフと彼の僚機であるガブリロフは、イランの空中目標を迎撃するためにスクランブル発進しました。レーダーのみを頼りに、2人は約7kmの距離から2機のイランのヘリコプターに向けてR-24Rレーダー誘導ミサイルをそれぞれ発射し、両機を撃墜しました。この勝利を記念して、V.P. マクシメンコ大尉は、以前に研究していた西側の航空機のノーズアートからインスピレーションを得て、アスタホフのためのマーキングをデザインしました。鳥自体は、隣接するヘリコプター部隊から連隊に贈られたハゲワシの剥製から着想を得ており、それがいくつかのデザインに取り入れられました。興味深いことに、この鳥はR-24RミサイルではなくR-60を抱えているように描かれていますが、これはおそらく、R-60の方が参考資料として容易に入手できた結果に過ぎないと思われます。このマーキングは、アスタホフ少佐のMiG-23MLDの機番58の左側に描かれていました。
碑文「カジュアル(Casual)」
イギリス陸軍 碑文「カジュアル(Casual)」。イギリス陸軍の部隊内では、各戦車に部隊の指定文字(この場合は「C」)から始まるニックネームを付けるのが典型的な連隊の伝統となっています。しかし、このプロセスに関する軍全体の正式な方針はなく、一般的に部隊内で奨励されているものであり、その多くは各文字で始まる形容詞や動物など、緩いテーマを持っています。名前は通常、戦車の搭乗員自身によって決定され、搭乗員は比較的匿名ですが、選ばれたニックネームは多くの場合、彼らの集団的な性格を少し垣間見せてくれます。「カジュアル(Casual)」は、1980年代にBAOR(British Army of the Rhine:イギリス陸軍ライン軍団)の一員としてドイツでの演習に参加していたチーフテンの車体の両側にある中央の収納箱に描かれていました。
第24戦闘飛行隊 第3小隊の記章(後期)
フィンランド空軍 第24戦闘飛行隊 第3小隊の珍しい記章。1944年の間に、部隊は信頼性の高いブルースター 239 バッファローからBf 109 Gへと移行しました。B-239ではより近代的なソ連の航空機についていくのに苦労していたため、これは必要な移行でした。109はフィンランド軍の手に渡ると素晴らしい性能を発揮し、戦争の残りの期間、部隊はほぼ30対1という非常に印象的な撃墜/撃破率を記録しました。部隊のマーキングは典型的には黒いオオヤマネコでしたが、Bf 109への移行直後にこのより抽象的なマーキングが登場しました。記録によると、これはオプションの新しい部隊マーキングとして少数の航空機に描かれたことが示唆されていますが、はっきりと確認できる例は1つだけです。これは、1944年6月にレオ・アホカス(Leo Ahokas)軍曹が最初に操縦したBf 109 MT-437のラダーに描かれていました。
碑文「朱徳号(Zhu De)」
PLA(中国人民解放軍)の碑文「朱徳号(Zhu De)」。当時の中国人民解放軍総司令にちなんで名付けられたこの碑文の遺産は、華東野戦軍が魯南戦役中にアメリカのM3A3 スチュアート軽戦車を数両鹵獲した1947年まで遡ることができます。1947年3月に野戦軍初の戦車部隊が編成されると、先頭車両(102号戦車)は「朱徳号」と命名されました。搭乗員と戦車は淮海戦役で功績を上げ、その間、102号は激しい砲火の下で負傷した戦友を援護しながら13発の直撃弾を受け止めました。「功臣号」戦車と同様に、朱徳戦車はその栄誉を同じ部隊が運用する歴代の戦車に受け継いでいきました。この特定の碑文は、59式戦車の砲塔の側面に描かれていました。
復刻デカール
フランス 第14海軍航空隊(Flottille 14F)「ル・コルセール(Le Corsaire)」の記章
フランスの航空機を使用して、60%以上の戦闘貢献率でバトルを20回プレイする |
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アメリカ 第2歩兵師団の記章
アメリカの戦車を使用して、敵プレイヤーを50回撃破する |

ポーランド 第14ヴィエルコポルスカ機甲旅団の記章
地上車両を使用して、15回勝利する |
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ドイツ 第3Sボート船団(3. SFltl)「トビウオ(Fliegender Fisch)」の記章
ドイツの「小型艇:沿岸警備(Coastal Fleets)」を使用して、20,000ダメージスコアを獲得する |
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イタリア 第155戦闘爆撃機飛行隊の記章
イタリアの航空機を使用して、地上または水上目標を30回撃破する |
第14海軍航空隊(Flottille 14F)「ル・コルセール(Le Corsaire)」の記章
フランス海軍 第14海軍航空隊(Flottille 14F)「ル・コルセール(Le Corsaire)」の記章。第14海軍航空隊は、1953年1月15日にチュニジアのカルバ空軍基地で編成されました。フランス向けに特別に製造された新型のF4U-7モデルを最初に受領した部隊であり、これは第二次世界大戦後にフランス海軍に引き渡された初の新型航空機でした。同部隊は1964年までF4U-7を運用し、1954年の第一次インドシナ戦争や1956年のスエズ危機など、いくつかの紛争に参加しました。部隊の海賊の記章は、地中海の公認私掠船にちなんで名付けられたF4Uの愛称「コルセア」から直接インスピレーションを得たものです。この記章は部隊のF4U-7の尾部中央に描かれました。その後、F-8E クルセイダーのコックピットの下の盾の一部として、またシュペルエタンダールの尾部の前縁に描かれることになります。
第2歩兵師団の記章
アメリカ陸軍 第2歩兵師団の記章。同師団は1917年10月26日にフランスで編成され、第一次世界大戦中に海外で編成された最初のアメリカ軍師団となりました。有名な「インディアン・ヘッド」のデザインは翌年に作成されました。第2補給列車のサミュエル・スイフト(Samuel Swift)中尉は、トラックのコンボイを回収するための遠征中に、フランスの車両すべてに特有の記章が付けられていることに気づき、自分たちの部隊の車両用にも記章を作成することが実用的だと考えました。第2補給列車の指揮官であるウィリアム・ヘリングショー(William Herringshaw)中佐は、そのアイデアの実用的な利点をすぐに理解し、部隊内で記章のデザインコンテストを開催しました。その結果、ネイティブアメリカンの酋長の頭部と白星の2つが勝者に選ばれました。前者は「元祖アメリカ人の象徴」と考えられたために選ばれ、白星は部隊が以前に拠点を置いていたテキサス州に関連して選ばれました。検討の結果、これら2つは直接組み合わされ、後に師団内の数え切れないほどのパッチデザインに採用されることになります。AFV(Armoured Fighting Vehicle:装甲戦闘車両)には通常、典型的な師団の記章は付けられていませんでしたが、その指揮下で運用されていた多くの車両は、パーソナルマーキングにネイティブアメリカンの図像を取り入れており、第二次世界大戦や朝鮮戦争中のさまざまなシャーマンモデルで見ることができました。
第14ヴィエルコポルスカ機甲旅団の記章
ポーランド軍 第14ヴィエルコポルスカ機甲旅団(14th Greater Poland Armored Brigade)の記章。同旅団は1944年12月12日に第3旅団として最初に編成されましたが、1945年3月8日に第14旅団に改名されました。この部隊が実際の戦闘に参加することはなく、戦時中の任務は第二次世界大戦後期にエジプトで訓練を行うことであり、その後はヨーロッパ戦勝記念日(VE Day)以降にイタリアで連合軍の占領部隊の一部として機能しました。訓練には、M4 シャーマン、M3およびM5スチュアート、M3A1スカウトカーなど、控えめな数の車両が用いられました。旅団の記章はいくつかのバリエーションを経ており、当初はゾウが描かれていましたが、後に豹に変更されました。記章は主に肩章として存在していましたが、もし戦闘に参加していれば、戦車の前後両方の左フェンダーに描かれていたと考えられます。
第3Sボート船団「トビウオ(Fliegender Fisch)」の記章
ドイツ海軍 第3Sボート船団(3. Schnellbootflottille)の記章。第3船団の典型として、各艇を識別しやすくするためにすべての舟艇には固有の記章があり、通常は海の生き物や海事に関連するものが描かれていました。トビウオは機雷敷設を主な任務としていたS 31の記章で、イギリス海軍の作戦を妨害する目的で、マルタの北岸とバレッタ港への接近ルートを標的としていました。1942年5月、この舟艇のグループはすでにいくつかの機雷原を敷設していましたが、計画のミスにより、いくつかの機雷敷設場所が重なっていることに気づいていませんでした。1942年5月10日の早朝、S 31は味方の機雷に触れて撃破され、わずかな生存者を救助するためにS 61が援助を提供しました。S 31の残骸は水深約60メートルのマルタ沖に沈んでおり、現在でもテクニカルダイビングの人気のスポットとなっています。トビウオの記章は、艦橋に隣接する船体の両側に描かれていました。
第155戦闘爆撃機飛行隊の記章
イタリア空軍 第155戦闘爆撃機飛行隊(155° Gruppo Caccia-Bombardieri)の記章。この飛行隊は1941年1月15日に第155陸上戦闘機飛行隊(155° Gruppo Caccia Terrestre)として結成され、第二次世界大戦終結までに127機の航空機を撃墜するという驚異的な記録を誇りました。この特定の記章は、飛行隊がF-104に移行したずっと後に誕生することになります。イタリアでの運用において、この航空機は「空飛ぶ棺桶(Bara Volante)」という恐ろしい愛称を付けられていました。悲しいことに第155飛行隊の歴史においてそれは事実となり、運用中に5機のF-104を喪失しました。しかし、その大半は航空機特有の欠陥ではなく、悪天候による事故が原因でした。豹の記章は、同グループがイストラーナ空軍基地にいた時期に見ることができ、エンジンの吸気口の前方に配置されていました。
月間マーキングは、カスタマイズメニューの下部にある特別タブ(月間デカール)で確認できます。1か月が経過すると、対応するカテゴリーに移動します。
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これらのデカールの正確な条件の確認とタスク完了までの進捗状況は、プレイヤープロフィール > デカール > 月間デカールにアクセスすることで確認できます。そこから、各デカールの「進捗状況の確認」ボタンをクリックすると、格納庫から進捗状況を追跡できます。
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すべての記章には、詳細な概要が付随します。これには、マーキングの歴史、デザイン、使用された機体、そして該当する場合には歴史的に機体のどこに配置されていたかなどが一般的に含まれます(一部の記章は、必ずしも機体に貼付されていなかったバッジから採用されています)。これにより、お好みで元の配置をより簡単に再現することができます。
今回は以上となります。月間デカールイベントにいつもご参加いただきありがとうございます!次期大型アップデートに向けて、今後数週間にわたり皆さまに共有できる興味深いニュースがたくさんありますので、引き続きニュースにご注目ください。それではまたお会いしましょう!
The War Thunder Team