歴史の1ページ(11月)
2026-10-30 09:00
イベント

今月の歴史の1ページでは、イタリア、ソ連、エジプト、イランなど、さまざまな戦場で起こった出来事の渦中に身を置くことになります。これらの歴史的な戦いで使用された兵器を使用してバトルに参加し、報酬を獲得しましょう!
11月1日から11月30日までの間、1つずつ完了可能な計8個のタスクをご用意しました。各タスクを完了すると報酬が含まれたトロフィーを獲得でき、全タスクを完了するとユニークなゲームプレイヤーアイコンを獲得できます。 |
| ロバート・タックは27機から29機の撃墜を記録した、イギリスで最も成功したエースの一人です。彼はキャリアの大半をスピットファイアで飛行しましたが、1941年の秋までハリケーンを運用していた第257飛行中隊の指揮を執っていました。彼は2度の空中衝突、4度の緊急パラシュート降下、そして1942年1月に撃墜された後のドイツでの長期間の捕虜生活を生き延びたことにより、「タックの幸運(Tuck's luck)」として知られるようになりました。1945年2月、タックはロシア語を話すポーランド人の戦友とともに捕虜収容所から脱出しました。赤軍部隊に遭遇した彼らは部隊に加わり、一時期、空ではなく地上で戦っていました!幸運は引き続きタックに味方し、最終的にイギリスへの帰国が許可され、故郷で戦勝記念日を祝うことができたのです。 | ![]() ロバート・ローランド・スタンフォード・タック |
下記手順により、12月3日(木)20:30(JST)まではタスクを完了しなくともゴールデンイーグルの使用によりプロフィールアイコンを直接購入することができます: |
各タスクの報酬とトロフィー
タスクを完了すると、下記いずれかの報酬を含むトロフィーを獲得することができます:
・3回から10回までのバトルで使用可能な20%から50%までのリサーチポイント(RP)ブースター
・3回から10回までのバトルで使用可能な20%から50%までのシルバーライオン(SL)ブースター
・3つから5つまでの一般的なバックアップ兵器
・1日間のプレミアムアカウント
・地上車両用のランダムなカモフラージュ(ゲーム内実績またはゴールデンイーグルで獲得可能なものに限ります)
その他
・タスクは20:00(JST)から各タスクの最終日の20:30(JST)まで利用可能です。
・タスクは「アサルト」モードを除いたランダムバトル内で完了できます。
下記手順にて、各日のタスクや詳しい説明、および全体的な進捗状況を確認できます:プロフィール→達成→Pages of History:歴史(11月)
カレンダー
11月1日から11月5日まで
バルバラ・ライン
ヴォルトゥルノ防衛線(イタリア中部におけるドイツ国防軍の最初の防衛陣地)の突破に続き、ドイツ軍は3週間かけて第2の防衛線であるバルバラ防衛線に向けて段階的な撤退を行いました。地形は防衛作戦に適していましたが、彼らはバルバラ防衛線を保持することができませんでした。1943年11月2日、連合軍はドイツ国防軍の要塞を攻撃し、11月3日までにそれらを突破しました。
11月5日から11月9日まで
ホーカー ハリケーン初飛行
1935年11月6日、ホーカー・エアクラフト(Hawker Aircraft Ltd.)社によって開発された戦闘機ハリケーンが初飛行しました。同機は第二次世界大戦初期において最も多く生産された航空機の一つとなり、合計14,500機以上のハリケーンが製造されました。これらの航空機はノルウェーやフランスでの戦闘に参加し、イギリスやマルタを防衛し、ソ連やユーゴスラビアに供給され、さらに熱帯仕様の派生型でアフリカ戦線の作戦にも投入されました。
11月9日から11月12日まで
タラント空襲
1940年の秋、イタリア艦隊の主力は同国南部の都市タラントに拠点を置いていました。停泊している艦艇に奇襲を仕掛けるため、イギリスは地中海艦隊のすべてを集中させ、HMS イラストリアスから21機の雷撃機ソードフィッシュを発艦させました。この作戦は非常に効果的で、イタリアの戦艦1隻が沈没し、他の2隻も大きな損害を受けました。イギリスは地中海における戦略的主導権を握ったのです。
11月12日から11月16日まで
ソルネチノゴルスク防衛作戦
1941年秋、モスクワに対するドイツ軍の攻勢は深い泥によって停止を余儀なくされました。しかし、11月15日までに地面は進軍を再開できるほど十分に凍結していました。タイフーン作戦の計画では、北と南からの挟み撃ちによってモスクワを占領する予定でしたが、ドイツ国防軍は両方面で敗北しました。北部ではドイツ軍がクリンとソルネチノゴルスクを占領したものの、12月5日までに進軍を止められてしまいます。その後、赤軍は反攻を開始し、12月中旬までに両方の町を奪還しました。
11月16日から11月19日まで
クルセーダー作戦
1941年11月18日、イギリス第8軍はキレナイカで2度目となる攻勢を開始しました。これは成功を収め、地上戦においてドイツ国防軍が初めて敗北を喫することになります。枢軸軍はエジプトからリビアへの撤退を余儀なくされ、多数の兵士が捕虜となりました。
11月19日から11月23日まで
ウラヌス作戦
1942年11月19日、ソ連軍はスターリングラード付近の枢軸軍に対する包囲を開始しました。11月22日までに包囲網は完成し、数十万の兵士が閉じ込められました。ドイツ軍司令部は包囲突破を試みることを推奨しましたが、アドルフ・ヒトラーはドイツ空軍が空からの補給線を確立できると信じ、いかなる撤退も禁じました。この誤った判断は致命的となり、包囲された軍は1943年2月上旬に降伏することとなりました。
11月23日から11月26日まで
戦闘飛行連隊「ノルマンディ・ニーメン」編成
1942年11月25日、ソ連領内においてフランス軍の部隊を編成する協定が調印されました。1943年7月には、フランスの地方名にちなんで「ノルマンディ」と名付けられたこの部隊は、連隊規模にまで拡大されました。その後、リトアニアのネマン川付近での戦闘で勇猛さを示したことから、「ノルマンディ・ニーメン」へと改称されました。最終的に、この連隊は航空戦で273回の確実な勝利を収めました。
11月27日から11月30日まで
タリーゴル=コッズ作戦
1980年のイラクによるイラン侵攻において、サダム・フセインの軍隊はボスタンを含む数多くのイラン国境の町を占領しました。それらを奪還する試みは長期間にわたり成功しませんでしたが、1981年11月29日の「エルサレムへの道」作戦において、イランは多数の死傷者を出しながらも町の奪還に成功しました。
The War Thunder Team
