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[永久対立] ダンケルク - 空中防衛戦
7月22日1:30(JST)から7月24日16:00(JST)まで
ダイナモ作戦(1940年5月22日から6月4日)
フランスは急速に進軍してきたドイツ軍により敗北してしまいました。また、アルデンヌ県からソンヌ川へのドイツへの進軍によって
連合軍は分裂し、北方の連合国軍は孤立し、すぐに包囲されてしまいました。5月26日にイギリス海外派遣軍は撤退を開始しましたが、
連合国軍は激しい抵抗にあったドイツ軍からの進軍に対抗するべく、防衛を強化し始めました。
ドイツの重爆撃機の攻撃によってダンケルクの港は使用できなくなってしまい、数十万もの人々が海辺に取り残され、救助を待っていました。
ドイツ空軍は海辺に駐在していた軍隊を攻撃し、天気に恵まれている時はダンケルクの街を瓦礫へと変えていきました。
イギリス空軍は人的に可能な限り、多くの攻撃機を迎撃しましたが、包囲された軍隊や、ドイツのベテランの搭乗員よりも
比較的に未熟な搭乗員を支援するために、連合国軍の飛行場から飛行しなければならない距離を考えると、イギリス空軍は全くの無力でした。
制限があったにも関わらず、9日間にわたるダイナモ作戦では、イギリス空軍は戦闘機で2,739回の飛行をし、
さらに、822もの偵察と爆撃の任務を遂行しました。戦闘司令部は、262の敵軍を破壊し、自軍は106機を失ったと主張しています。
5月29日、イギリスの民衆に避難勧告が出され、多くの民間船が、軍隊を安全に救出するためにダンケルクへ到着し始めました。
この小型の船からなる艦隊は「ダンケルクの小さな船たち」として有名です。この一般の船の貢献や乗組員の勇敢さによって
「ダンケルク精神」という言葉が誕生し、イギリスの意志や、圧倒的に分が悪い状況下でも結集できる力があることを示すために、
今もなお使われている表現です。
作戦の最終日である6月4日、ほぼ全ての重機は残されたままとなったものの、198,000人のイギリス国民と140,000もの連合国の軍隊が
救出されました。60,000人もの犠牲者を出し、ドイツ軍は3週間の間に100万人以上の連合国軍捕虜を拘束しましたが、
この撤退によりイギリス国民の士気が高揚し、連合国軍が「バトル・オブ・ブリテン」で空中戦に参戦したり、事前に予測されていた
ドイツ軍によるイギリス侵攻「アシカ作戦」に対抗したりするために再結成するまでに至りました。
使用可能な航空機:
ドイツ:
- ・ Bf 109 E-1
- ・ Bf 109 E-3
- ・ Bf 109 E-4
- ・ Bf 110 C-4
- ・ Ju 87 B-2
- ・ Ju 88 A-1
- ・ Ju 88 A-4
- ・ He 111 H-2
- ・ Do 17 E-1
- ・ Do 17 Z-2
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| イギリス:
- ・ ハリケーン Mk I
- ・ スピットファイア Mk I
- ・ スピットファイア Mk IIa
- ・ ソードフィッシュ Mk I
- ・ ブリストル Mk IV
- ・ ウェリントン Mk Ic
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イベントを是非楽しんでください!戦場でお会いしましょう!
The War Thunder Team