歴史の1ページ(3月)


1か月間に1つずつ完了可能な計8個のタスクをご用意しました。各タスクを完了すると報酬が含まれたトロフィーを獲得でき、全タスクを完了するとユニークなゲーム内プレイヤーアイコンを獲得できます。


現在プレイ可能なタスクの詳細と全体の進捗状況は下記手順にて確認することができます:プロフィール→達成→Pages of History:歴史



当時最速を誇った水上機を含む、24機の航空機の製造を手掛け、その功績から大英帝国勲章を授与されたイギリスの航空機設計者です。わずか38歳の時にスーパーマリン・スピットファイアの開発の指揮を執り、第二次世界大戦中におけるイギリス空軍の象徴として伝説になりました。

4月3日(月)20:30(JST)までに下記手順にてゴールデンイーグルを使用すると、タスクを完了することなく即座にプロフィールアイコンを購入できます:プロフィール→達成→Pages of History:歴史(3月)



レジナルド・ミッチェル


各タスクの報酬とトロフィー


タスクを完了すると、下記いずれかの報酬を含むトロフィーを獲得することができます:

  • 3回から10回までのバトルで使用可能な20%から50%までのリサーチポイント(RP)ブースター
  • 3回から10回までのバトルで使用可能な20%から50%までのシルバーライオン(SL)ブースター
  • 3つから5つまでの一般的なバックアップ兵器
  • 1日間のプレミアムアカウント
  • 地上車両用のランダムなカモフラージュ(ゲーム内実績またはゴールデンイーグルで獲得可能なものに限ります)

  • その他


  • タスクは20:00(JST)から各タスクの最終日の20:30(JST)まで利用可能です。
  • タスクは「アサルト」モードを除いたランダムバトル内で完了できます。

  • 3月1日から3月4日まで
    ビスマルク海海戦


    1943年3月初旬、日本はラバウルからパプアニューギニアのラエに、部隊の一部を移動させるという危険な作戦を開始しました。日本軍の暗号を解読した連合軍は、輸送船団を迎撃する計画を立てました。3月2日から4日にかけて、アメリカとオーストラリアによる共同の空軍が日本の艦艇を爆撃し、そのほとんどを破壊することに成功しました。

    3月5日から3月8日まで
    スーパーマリン・スピットファイアの初飛行


    1936年3月5日、第二次世界大戦の最も象徴的な航空機の一つであるスーパーマリン・スピットファイアが初飛行を行いました。バトル・オブ・ブリテンにはハリケーンほど多くのスピットファイアは参加していませんが、ドイツのBf109と互角の戦いを繰り広げました。その後、スピットファイアはヨーロッパや地中海、太平洋の各戦域で広く運用されました。

    3月9日から3月12日まで
    プスコフ作戦


    1944年3月9日、赤軍はプスコフでドイツ国防軍を包囲し、街を解放するために攻勢を開始しました。ところが、激しい抵抗に見舞われたことで、前線を13km後退させることしかできず、プスコフが奪還されたのは7月下旬のことでした。

    3月13日から3月16日まで
    アンダートーン作戦


    1945年3月中旬、アメリカ軍とフランス軍は、西ドイツで強固に防御された要塞を襲撃していました。16日間の作戦で連合軍はザールブリュッケンからカールスルーエまで到達し、ライン川の西岸全域を占領することに成功しました。

    3月16日から3月19日まで
    ウィーン攻勢


    1945年3月16日、オーストリアの首都を占領するための戦略的攻勢作戦が、ソ連軍とブルガリア軍によって開始されました。ウィーンまで3週間、さらに1週間の市街戦の結果、攻勢はソ連の勝利で終わり、10万人を超えるドイツの兵士が捕虜となりました。

    3月20日から3月23日まで
    カラメの戦い


    1967年の第三次中東戦争の後、ヤセル・アラファト率いるPLO(Palestine Liberation Organization:パレスチナ解放機構)は、ヨルダン川の西岸から東岸に位置する街のカラメまで退却し、そこからイスラエルへの攻撃を続けていました。1968年3月21日、イスラエル軍は報復を実行し、町を破壊してPLOをさらにヨルダンへ向けて追いやりました。一方、この紛争でPLO側についたヨルダン軍の参戦により、イスラエル軍も予想以上の損害を被りました。 その結果、双方が勝利を主張しました。

    3月23日から3月26日まで
    エル・グェタルの戦い(Battle of El Guettar)


    1943年3月23日、チュニジアのエル・グェタル近郊で戦闘が勃発しました。カセリーヌ峠でアメリカ軍を破った枢軸軍は、次も経験の浅い敵に対して簡単に勝利できると思い込んでいました。 しかし、ドイツの戦車が地雷原で足止めされると、砲兵や駆逐戦車による砲火が浴びせられ、大きな被害を受けることになりました。それでも連合軍が反撃に転じた際には同じ対抗策を講じ、この戦いは膠着状態が続いて終わることになりました。

    3月27日から3月31日まで
    マタパン岬沖海戦


    1941年3月27日から29日にかけて、ギリシャ南部のマタパン岬付近で、イタリア海軍とイギリス海軍が戦闘を繰り広げました。イタリア海軍の暗号を解読したイギリス軍は、事前に敵の数を把握し、夜間の戦闘に備えた訓練を行い、敵の不意を突きました。 その結果、イタリア海軍は大敗を喫し、終戦まで挽回することができませんでした。



    The War Thunder Team