歴史の1ページ(8月)


今月の歴史の1ページでは、バトル・オブ・ブリテン、ファレーズ・ポケット、クウェート侵攻、そしてバルバロッサ作戦などの数々の戦場で起こった出来事の渦中に身を置くことになります。これらの歴史的な戦いで使用された兵器を使用してバトルに参加し、報酬を獲得しましょう!


8月1日から8月31日までの間、1つずつ完了可能な計8個のタスクをご用意しました。各タスクを完了すると報酬が含まれたトロフィーを獲得でき、全タスクを完了するとユニークなゲームプレイヤーアイコンを獲得できます。



ファレーズ作戦中、カナダ軍の少佐だったデイビット・カリーは、ファレーズの包囲網から逃れようとしたドイツ軍の大部分の急襲の指揮を執りサンランベールの陣地を防衛していました。ドイツ国防軍の方が数が多かったにも関わらず、カリーの戦術的決断力と統率力により、カナダ軍は500の兵器をを撃破し、2000名以上の敵兵を捕虜にとることが可能となりました。ビクトリア十字章を授与した彼は、王立カナダ機甲軍団として唯一の受賞者となりました。



デイビット・カリー


9月3日(月)20:30(JST)までに下記手順にてゴールデンイーグルを使用すると、タスクを完了することなく即座にプロフィールアイコンを購入できます:プロフィール→達成→Pages of History:歴史(8月)

各タスクの報酬とトロフィー


タスクを完了すると、下記いずれかの報酬を含むトロフィーを獲得することができます:

  • 3回から10回までのバトルで使用可能な20%から50%までのリサーチポイント(RP)ブースター
  • 3回から10回までのバトルで使用可能な20%から50%までのシルバーライオン(SL)ブースター
  • 3つから5つまでの一般的なバックアップ兵器
  • 1日間のプレミアムアカウント
  • 地上車両用のランダムなカモフラージュ(ゲーム内実績またはゴールデンイーグルで獲得可能なものに限ります)

  • その他


  • タスクは20:00(JST)から各タスクの最終日の20:30(JST)まで利用可能です。
  • タスクは「アサルト」モードを除いたランダムバトル内で完了できます。

  • 8月1日から8月4日まで
    クウェート橋


    1990年、イラクのクウェート侵攻が始まった当初、両国家とも深刻な対立を始める準備はできていませんでした: クウェート軍は動員すらされておらず、イラク軍は無抵抗を予想し、自国の戦車にはSABOT弾(装弾筒)の代わりにHE弾(榴弾)を搭載していました。 8月2日の朝、クウェート軍の小集団がアル・ジャハラー付近の高速道路に架かる橋にて敵と遭遇し、砲撃を開始したがほとんど無反応でした。数時間後、イラクの精鋭部隊が到着したが、彼らも最初は敵の横を通り過ぎてしまったため、クウェート軍は砲撃を続け、弾薬がほとんど尽きたところで撤退することとなりました。

    8月4日から8月8日まで
    スパス=ジェメンスク攻防戦


    ドイツ国防軍は、1943年にルジェフ・ヴャジマ突出部から後退した後、ロシア西部に塹壕を築きました。8月7日、赤軍は占領地を解放するためにスモレンスク攻撃作戦を開始します。スパス=ジェメンスク近郊で2週間続いた激しい戦闘は、ソ連の勝利で幕を閉じました。

    8月9日から8月12日まで
    タルトゥ攻勢


    1944年のナルバ作戦が成功した後、ソ連軍はエストニアの進撃を続けました。ドイツ国防軍から奪還した次の主要都市は、エストニア東部にあるタルトゥでした。そこへの陸路はぺイプシ湖に阻まれていたため、ソ連軍は湖上から攻撃を仕掛けることで、敵を後方から奇襲することができました。

    8月12日から8月16日まで
    ファレーズ・ポケット


    1944年8月中旬、連合国はノルマンディーのファレーズのポケットで大規模なドイツ軍部隊を包囲しました。これはアドルフ・ヒトラーが自ら軍隊を指揮し、反撃を強調し撤退を禁じたことによる直接の結果でした。ポケットが徐々縮小されるとともに、1万人以上のドイツ兵が戦死し、5万人以上が捕虜となり、ノルマンディーの戦いは連合軍の決定的な勝利で幕を閉じました。

    8月17日から8月20日まで
    The Hardest Day(最も過酷な一日)


    1940年8月、ドイツ空軍はイギリス上空の制空権を確保するため、イギリス空軍戦闘機部隊の壊滅することを決定しました。8月13日、飛行場の攻撃、アドラーターク(Adlertag)は失敗に終わりましたが、その5日後に再び攻撃が実行されました。8月18日に、史上最大規模の空戦が行われたため、後に英国によって「The Hardest Day(最も過酷な一日)」と呼ばれるようになりました。英軍パイロットは、ドイツ空軍の2倍となる航空機を撃墜しましたが、爆撃によって地上で多くの戦闘機を失ったため、両軍の損害はほぼ同等のものとなりました。

    8月20日から8月23日まで
    コゼリスク攻勢


    1942年8月22日、赤軍はコゼリスクに滞在するドイツ軍を包囲しようとしました。反撃は失敗に終わり、ソ連軍は前線を6~8km押し戻しただけで、500両の戦車と防衛していたドイツ軍兵士の4倍を失いました。

    8月24日から8月27日まで
    パリの解放


    ノルマンディーで勝利を挙げた連合国は、パリに向かいます。8月19日には、すでにフランスのレジスタンスがドイツ軍とヴィシーの軍勢を相手に都市を奪回する戦いを開始していました。8月24日の夜、アメリカ軍と自由に動けたフランス解放軍がパリに入城しまたしたが、戦闘は数時間で終了しました。軍事総督ディートリヒ・フォン・コルティッツは、ヒトラーの命令には従わず、都市を破壊することを拒否し、連合国に降伏しました。

    8月28日から8月31日まで
    エリニャ攻勢


    バルバロッサ作戦の一環としてドイツ軍がソ連に侵攻している間、ドイツ国防軍はモスクワ攻撃の足がかりとして利用できるとロシア西部のエリニャ近くの広大な突出部を占領しました。ソ連軍司令部によって突出部の排除が決定されたのですが、1941年8月30日に反撃を開始し成功を収めます。エリニャは奪還されましたが、ドイツ国防軍がすぐに東進を再開したため、1か月の間のみとなりました。



    The War Thunder Team