歴史の1ページ(7月)


今月の歴史の1ページでは、シチリア島とグアム、フランスとソ連で行われた戦闘で起こった出来事の渦中に身を置くことになります。これらの歴史的な戦いで使用された兵器を使用してバトルに参加し、報酬を獲得しましょう!


7月1日から7月31日までの間、1つずつ完了可能な計8個のタスクをご用意しました。各タスクを完了すると報酬が含まれたトロフィーを獲得でき、全タスクを完了するとユニークなゲームプレイヤーアイコンを獲得できます。



アメリカ陸軍中将のジェームズ・モーリス・ギャビンは、空挺部隊の運用に関する卓越した理論家であり、実践者でもありました。大佐として、ハスキー作戦におけるシチリア島侵攻に積極的に参加し、その後准将に昇進しました。それにもかかわらず、彼は兵士とともにパラシュート降下をやめず、戦時中には4回におよぶ戦闘パラシュート降下を行った、唯一のアメリカ軍大将となりました。そのため、彼には「ジャンピング・ジェネラル」や「ジャンピン・ジム」という愛称が付けられました。D-デイでのパラシュート降下やバルジの戦いなどに参加し、終戦まで活躍しました。



ジェームズ・モーリス・ギャビン

下記手順により、8月3日(土)20:30(JST)まではタスクを完了しなくともゴールデンイーグルの使用によりプロフィールアイコンを直接購入することができます:プロフィール→達成→Pages of History:歴史(7月)

各タスクの報酬とトロフィー


タスクを完了すると、下記いずれかの報酬を含むトロフィーを獲得することができます:

  • 3回から10回までのバトルで使用可能な20%から50%までのリサーチポイント(RP)ブースター
  • 3回から10回までのバトルで使用可能な20%から50%までのシルバーライオン(SL)ブースター
  • 3つから5つまでの一般的なバックアップ兵器
  • 1日間のプレミアムアカウント
  • 地上車両用のランダムなカモフラージュ(ゲーム内実績またはゴールデンイーグルで獲得可能なものに限ります)

  • その他


  • タスクは20:00(JST)から各タスクの最終日の20:30(JST)まで利用可能です。
  • 「アサルト」モードを除き、ランダムバトル内でタスクを完了することができます。

  • 下記手順にて、各日のタスクや詳しい説明、および全体的な進捗状況を確認できます:プロフィール→達成→Pages of History:歴史(7月)

    7月1日から7月4日まで
    ザイドリッツ作戦


    1942年、長期にわたる膠着状態が続く中、ルジェフ近郊でドイツ軍が反撃を開始しました。7月2日、ドイツ国防軍は「孤立地帯」への攻撃を開始し、ソ連軍の一部がドイツ軍に包囲され、防衛に回ることを強いられました。これは、冬季のソ連軍の攻勢によって形成された前線の陣地を排除するための最後の作戦でした。

    7月5日から7月8日まで
    ツィタデレ(城塞)作戦


    ドイツ国防軍の東部戦線における最後の戦略的攻勢は、1943年7月5日にクルスク近郊で始まりました。この作戦は長い間準備されており、ヒトラーも個人的に多大な期待を寄せていたものの、イギリス諜報部はドイツ国防軍の計画をかなり前から把握していました。彼らはソ連に警告を発し、ソ連は陣地を強化してドイツの攻撃を撃退することに成功しました。

    7月9日から7月12日まで
    ハスキー作戦


    北アフリカ作戦の終結により、連合軍は戦争から撤退を予定していたイタリアへの道を開きました。最初に陥落したのはシチリア島で、1943年7月9日に大勢の連合軍が上陸し、空挺作戦が重要な役割を果たしました。連合軍は1年後のノルマンディー上陸作戦の計画で、この経験を生かしました。

    7月12日から7月15日まで
    ソルツィの戦い


    1941年6月のソ連侵攻後、ドイツ国防軍はレニングラードに向けて迅速に前進を進め、まともな抵抗に遭遇するのはごく稀でした。ところが、北方軍集団はレニングラード地方で分散し、一部の部隊は沼地の地形のせいで装甲車両を自由に走行できなかったせいで、ソ連軍に阻止されて孤立していました。7月14日、赤軍は孤立したドイツ国防軍集団の一つを攻撃し、ドイツ軍が有する戦車数の優位性もここでは役に立ちませんでした。その結果、ドイツ軍は40kmの後退を余儀なくされました。

    7月16日から7月19日まで
    スターリングラード攻防戦の初期


    1942年7月17日、史上最も大規模で過酷な戦闘が始まりました。この戦いは、ソ連の指導者の名を冠したヴォルガ川沿いの重要な都市である、スターリングラードの支配権をめぐって繰り広げられました。両陣営ともこの戦いに百万以上の兵士と幾千の装備を投入しましたが、最終的にはソ連が勝利を掴み取りました。

    7月20日から7月23日まで
    グアムの戦い(1944)


    1944年7月21日、アメリカ軍はグアム島に上陸しました。数的、技術的有利性により、3週間でこの島から日本部隊をほぼ完全に一掃することに成功しました。その後、7月21日はグアムで解放記念日として祝われています。

    7月24日から7月27日まで
    メルサド作戦


    1988年7月26日、イラン・イラク戦争の最後の戦いの火ぶたが切って落とされました。イラクによる支援を受けていたイランのモジャーヘディーネ組織が、イラク方面からイランの国境に侵攻を行いました。しかし、その時には既に和平交渉が行われており、UNからの圧力もあったため、イラク空軍はPMOI(People's Mojahedin Organization of Iran:モジャーヘディーネ・ハルグ)地上軍の支援を途中で放棄しました。これにより、イランはメルサド作戦を素早く決行することが可能となり、PMOI部隊を最小限の被害で破壊することに成功しました。

    7月28日から7月31日まで
    ブルーコート作戦


    1944年7月30日、イギリス軍はノルマンディーのヴィール市に対して攻撃を仕掛けました。しかし、悪天候により航空支援は限定され、地上軍は膠着状態に陥りました。彼らの進軍という選択は、250両の戦車を失うという多大な被害を招きましたが、この作戦の成功は戦術的に重要であり、ドイツ軍部隊をファレーズ・ポケットの中で包囲することに繋がりました。



    The War Thunder Team