バワリー作戦

北アフリカの砂漠で繰り広げられるイギリスとドイツとイタリアの対戦において、
地中海は急速に軍事作戦の上できわめて重要なものとなりました。
イギリスはイベリア半島の南端にあるジブラルタルとエジプトのアレクサンドリアに重要な作戦基地を持っており、
この二つの強力な基地の間には地中海における戦略上きわめて重大な踏み石となるマルタ島が横たわっていたのです。

イタリア軍は1940年の夏にはマルタ島を攻めて、
イギリスの戦争遂行能力を奪う作戦を企てました。
イタリアの爆撃機はマルタ島を攻撃しながら
軍艦は周囲の海上交通路からの補給を遮断することを試みます。
マルタ島の防空はわずかなグロスターグラディエーターと
ホーカーハリケーンで編成されていましたが、
これらの機体は幾度となく攻めてくるイタリアの爆撃機を
首尾よく迎撃することが可能でした。

1941年からはドイツ軍がマルタ島をターゲットとし、航空機による爆撃や海軍による包囲攻撃はさらに脅威となっていきました。
イギリスはマルタ島への安定した航空機の再補充を含め、島への補給を絶えないよう維持せざるを得ませんでした。
ひとまとめに輸送するただひとつの方法は海路だけで、マルタ島への護送作戦は「クラブラン」として知られていました。

1942年5月、包囲されたマルタ島への補充を行なうクラブランのため、
アメリカのワスプがバワリー作戦の核として形成されました。
この部隊は巡洋戦艦レナウンと14隻の艦艇に護衛されました。
5月9日、ワスプに搭載された47機のスーパーマリン スピットファイアMk.Vcに続いて、
イギリスの航空母艦イーグルで運ばれた17機のスピットファイアは
揺れる船上から飛び立ちました。
悲惨なカレンダー作戦の苦い教訓に基づいて、
64機のうち61機はマルタに無事に到着しました。
以前のカレンダー作戦のクラブランでは、
戦闘機はすぐに燃料の補給が必要となり、再度防空に参加するため、
上空を飛ぶ前に再整備しなくてはなりませんでした。
バワリー作戦ではイギリス空軍地上クルーとロールス・ロイス マーリン
エンジンの予備が追加されました。
ドイツ・イタリア軍の攻撃部隊がすでにマルタ島に向かっていると枢軸機関から警報がでました。
スピリットファイアは迎撃に急行し、イギリス空軍のパイロットは47機の敵の飛行機を撃墜しましたが、
失ったスピットファイアは3機のみでした。
島の包囲は当分終わることはなく、より多くのクラブランが要求されましたが、スピリットファイアのパイロット達と同様に
重要なエンジニア達はマルタ島の防空に配置されました。

Mark (Wafu) Barber