61式戦車:日本式パットン
50年代半ば、日本の設計者たちは再び自国の中戦車の設計を開始しました。
日本で戦後業務に採用された主力戦車、61式戦車をお届けします。
第二次世界大戦後、日本は自国の軍隊を所有することを禁じられていました。
占領統治を行うアメリカは、当初全面武装解除を計画していましたが、朝鮮戦争が始まったことで、この決定を見直さざるを得なくなりました。
1954年に、自衛隊が形成され、アメリカのM4 シャーマンとM24 チャーフィーを装備しました。
後には、より現代的なM41軽戦車 ウォーカー・ブルドッグを装備することとなります。
船橋の積載量と山岳鉄道のトンネルによって、戦車の大きさと重量が大幅に制限されていたため、
これらの車両は日本軍にふさわしいものではありませんでした。
それに加えて、日本の戦車兵は平均的にアメリカの兵士よりも背が低く、この戦車の搭乗員席は乗り心地の悪いものでした。
50年代初めに、アメリカ軍は日本に試験で評価されただけのM47パットンを与えました。
この新しい戦車は日本の地形で使用するには重すぎ、全くもって日本人に適したものではありませんでした。
そのため、類似の小さな戦車を開発し、アメリカの90mm砲の設計に着想を得た日本の90mm砲を製造するという決定がなされました。
細部が異なる様々な原型機が試験に持ち込まれました。
最初の戦車は外形の小さいST-A1でした(高さは最大でもたったの2.2mでした!)。
その後、ST-A1をもとにした、機体が高く短い派生型が製造され、ST-A2、ST-A3、ST-A4と名づけられました。
これらの戦車はそれぞれ砲塔と司令塔に違いがありました。
試験を無事終えると、派生型ST-A4は61式戦車という名で自衛隊の業務に採用されました。
まもなく、War Thunderにも61式戦車がやってきます。
その外観はプレイヤーを驚かせることでしょう。
第二次世界大戦後は、ほとんど全ての戦車設計者がエンジンと変速装置を隣りあわせに配置しようとしていました。
そのため、戦車のエンジンと変速装置を後ろに置くか(T-62、センチュリオン)、
前に置くか(AMX 13)くらいで、設計にほぼ変化はありません。
しかし、日本軍は、61式戦車でも第二次世界大戦時の戦車設計における伝統を維持し、
変速装置を前部に、空冷ディーゼルエンジンを後部に配置しました。
前面装甲がうまく突き破られたとしても、変速装置が爆弾の破片を「吸収」してくれるかもしれないので、
ゲームの観点から見るとこの配置は喜ばしいものです。
日本の設計者が戦車を軽くしようと追求した結果、装甲を犠牲にせざるを得ませんでした。
61式戦車は、大口径の機関銃と20mm砲が前面から発砲してきた以外、確実に持ちこたえることができるとはいえません。
しかし、M47 パットンⅡが46トンであるのに対し、61式戦車の重量は35トンしかありません。
600馬力のディーゼルエンジンでこの軽戦車はかなりの機動性の高さを発揮します。
馬力重量をみると、1トンにつき17馬力をやや上回ります。
61式戦車の機動性を制限するのは(他の中戦車と比較すると)低い最大速度だけです。
この戦車の最大速度は道路上で毎時55km、地形によっては毎時45kmになります。
しかし、61式戦車の切り札は、日本向けに設計されたアメリカの90mm砲です。
そこそこの発射速度と垂直の照準角のおかげで使いやすく、強力な弾丸はどんな敵でも撃破できます。
装甲の弱い対空自走砲を攻撃するには砲塔の屋根に搭載された大口径の12.7mmブローニングも有効です。
パットンのすばらしい機動性と強力な武器がお好みでしたら、61式戦車をぜひお試しください!
War Thunder Team!
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